1宝塚ゴルフ倶楽部の誕生
「甘香園」みかんの花咲く高台に、宝塚ゴルフ倶楽部の種子が蒔かれた。
紳士のための社交の場として、宝塚ホテルのなかに結成された「宝塚倶楽部」。
旧コース 1 番。ティショットの落ちるあたり、フェアーウェー右側に、こんもりとした緑につつまれてその塚はある。
その名も「甘香塚」。
最初の 3 ホールズが造られた丘が、もともとはみかん畑であったことを示す塚である。
古い歴史を誇る倶楽部のなかでも、これほどはっきりとした起りを示すシンボルを持っている倶楽部はあまりないだろう。
この 1 番ホールの場所は、大正 15 年 10 月 2 日の開場の日のままである。
阪急電鉄を辞めた南喜三郎氏が宝塚ホテルを設立、大正 15 年から開業することになる。
そしてそのホテルの 5 階に沿線の人々の健康と社交の場としての「宝塚倶楽部」が産声をあげる。
当時、屋外の娯楽施設にはテニスコートや弓道場、射的場などがあったが、
徐々に人気がでてきたゴルフもということになり、
倶楽部の施設として最初の 3 ホールズがオープン。当時の入会金は 30 円、会費は年 12 円という安さであった。
富裕階級だけのゴルフではなく、だれもが自由にゴルフを楽しめる倶楽部として、入会者希望者が殺到した。
そして昭和 3 年、「宝塚倶楽部」のゴルフ部から、ゴルフ会員のみの「宝塚カンツリー倶楽部」と改称された。