218ホールズ完成までの道のり
福井覚治プロ設計。関西で初めて、日本人の手による3ホールズ。
宝塚のフェアーウェーはここからはじまり、
18ホール完成には初代キャプテンの広岡久右衛門氏が心血を注いだ。
最初の 3 ホールズを設計・監督したのは日本人プロゴルファーの開祖といわれる福井覚治氏。
1 番は今と同じ位置で、3 番が現在の 9 番ホールの位置に、その間に 2 番のショートホールがあった。
会員は増え続け、3 ホールズでは収容しきれなくなり、すぐ 6 ホールズに拡張。さらに第一次 9 ホールズが完成した。
しかし日曜、祝日ともなれば超満員。さらなる18ホールズへの拡張工事が決意された。
宝塚の 18 ホールズ完成に心血を注いだのは初代キャプテンの広岡久右衛門氏。
欧米のコースでプレーしてきた広岡氏にとって、日本のコースは満足出来るものではなかった。
彼はインコースを設計し、自ら工事を監督するため、巻き尺片手に熊笹や茨のなかを歩き回り、
ヤーデージの測定に夢中になり、この道に経験のない人に話しても想像出来ないような苦労をされたという。
ゴルフのプレーはもちろん、その他のこともほとんど犠牲にして毎日現場に出かけたと自らその著書で述懐されている。
なにが広岡氏をつき動かしていたか。
サラリーマン階級にもゴルフ入門の扉を開き、新しい関西ゴルファーズが発生する倶楽部でありたい。
紳士のスポーツであるゴルフの大衆化に貢献してきた倶楽部の考えが、広岡氏の夢と共鳴したからに違いない。