5宝塚ゴルフ倶楽部の新時代。36ホールの完成
伝統はあるが、古くはない。宝塚の歴史は、「進取」の歴史でもある。
良いものであれば、トライする。
ゴルフ界の一歩先を見て歩いてきた。
昭和 34 年には、名建築家である村野藤吾氏が手がけた 3 代目 クラブハウスが誕生する。
この東洋一といわれたクラブハウスは、規模といい、そのデザインの斬新さといい、当時の常識を覆すものであった。
また同年、新コース 18 ホールズが完成。西日本で最初の 36 ホールズを備えたゴルフ場として生まれ変わる。
そして昭和 37 年には 1 バッグ用の手押しカートを、昭和 44 年には 4 バッグ用の電動カートをいち早く採用し、
新たなゴルフライフの扉を開くことになる。
更に、関西でグリーンのベント化にいち早く着手したのも宝塚ゴルフ倶楽部である。
日本で唯一の芝草研究所である関西ゴルフ連盟のグリーン研究所に倶楽部の敷地を提供し、
芝草研究に貢献してきたことが役立っている。
「宝塚はオープンな倶楽部」だと多くの会員が口にする。
その意味は二つ。
一つは、新しい会員を温かく受け入れ、誰でも一ゴルファーとしての付き合いが出来るオープンさ。
もう一つは、常に倶楽部の外のことも考えているという意味である。
ゴルフ界にとってどうすればいいのか、というまなざしを忘れない。
そういう懐の深さを宝塚では大切にしている。