6震災からの復興。21世紀にかけて

復旧ではなく、復興に。大震災が新コース改造のきっかけとなった。
21世紀の橋を渡って、宝塚ゴルフ倶楽部100年へ。

1995 年 1 月 17 日、阪神・淡路を襲った大地震は当倶楽部にも大きな被害をもたらした。

新コース内各所の崩落、地割れで一時クローズを余儀なくされた。

だが、これを一つのきっかけに、宝塚の新コースを大きく前進させたいと「コース復興特別委員会」が組織された。

アップダウンのきつい新コースは高齢者には辛く、回る方も少なかった。

そこで、思いきってコースを改造しようと復興プランがだされたのだ。

だれもが楽しめるより良いコース造りに向けて、計画は大胆に進められた。

資金の問題、会員の意見調整、役所との折衝など難問は山積していた。

しかし、目標が決定すれば、全員一丸となって協力するのが宝塚の伝統。

役員改選の空白期にもかかわらず、比較的早く復興工事に着手出来た。

名物ホールを造ろうという話も飛びだし、15 番のショートホールが生まれた。

またバブル崩壊後の長引く不況は、日本のゴルフ界にも大きな影響を与えた。

社用ゴルフは衰退し、ゴルフを楽しむゆとりがなくなり、ゴルフ場の倒産も深刻な問題となった。

当倶楽部においても、来場者の減少は止まらず、財政・収支の改善が急務となった。

しかしこうした日陰のなかにも、新しいゴルフの動きは芽生えている。

市民大会や県民大会の開催など、宝塚は地域への貢献を地道に、大切に実施している。

ナショナルオープンとしては、1953 年の『日本オープンゴルフ選手権』以来 50 年ぶりとなる、
『日本シニアオープンゴルフ選手権競技』も開催。

2006 年には、兵庫国体のゴルフ競技会の舞台ともなった。

そんな中、なによりもうれしいのは『より多くの人にゴルフというスポーツを楽しんでもらいたい』という
「宝塚ゴルフ倶楽部」の精神が、新しいカタチに実を結んできていることだ。

そして 2013 年 4 月には一般社団法人へ移行し、21世紀の橋を渡り、
宝塚ゴルフ倶楽部は 100 年の歴史を刻もうとしている。

  • 阪神淡路大震災は新コース・クラブハウスに大きな被害をもたらした
  • 復興之碑
  • 第13回日本シニアオープンゴルフ選手権