3戦時下の苦難を乗り越えて

宝塚のフェアーウェーは、海軍航空隊の陸戦訓練場に。
進駐軍の接収により、競馬場移転の用地問題も解決。

戦中、宝塚新温泉のあたりに、宝塚海軍航空隊が置かれていた。

昭和 20 年の 4 月から 8 月にかけては、第 16 期飛行予科練生が数次に分かれて入隊。

3,500 ~ 4,000 人の海軍将兵が大劇場や周辺施設で生活していた。

宝塚ゴルフ倶楽部ではおもに陸戦訓練が行われていたらしい。

昭和 20 年 8 月 15 日の終戦後は連合軍が進駐、9 月 26 日には米軍第 33 師団の一部が駐屯した。

長い戦争が終わり、ゴルフをしたかったのは進駐軍も同じ。彼らはまず、基地のなかに練習場やミニコースなどを造った。

そして真っ先に目をつけ接収したのは、すぐプレーが出来る名門ゴルフコースであった。

関西では、茨木と、宝塚が最初に接収される。

そして宝塚では、より良いコースを造るため、進駐軍は建設中であった阪神競馬場の中心部 10 万坪や、
当時正金銀行が持っていたテニスコート・グラウンドも接収。ゴルフコースの改造・増設が進められた。

宝塚にとって幸運だったのは、この接収と、米軍司令官ブラウン代将による
「宝塚ゴルフコースの、競馬場への模様替えは許可いたし難い」という一声だ。

これにより戦中から問題になっていた競馬場移転の用地問題が救われることになる。

  • 米進駐軍よりの接収解除を告げる文書
  • クラブハウス前の進駐軍
  • 昭和25年には日本人の終日プレーが許されることに